• ホーム
  • 水戸八幡宮について
  • 火伏せ神と八幡宮

火伏せ神と八幡宮

「水戸の民話」より抜粋

八幡宮の境内には火伏せの神様として「鎮火之神二神宮」というお社があります。ここにはイザナギ・イザナミの二神がまつられていて、この二神には次のようないわれがあります。

むかし、江戸の神田明神のお祭りは、江戸三大祭としてにぎやかなものでした。それぞれの町内から派手に飾りつけられた花車が36台も出て、それはそれはごうせいなものでした。

ある年、神田佐久間町から新しく作った花車が出ました。それはイザナギ・イザナミの二柱が、天の浮橋に立つ姿をかざったもので、たいへん美しいものだったといいます。

ところが、そのお祭りの夜、佐久間町から大火事がおこってしまいました。町の人たちは縁起をかついで、その花車を深川のある町に売り渡しました。

次の年、富岡八幡のお祭りにこの花車がでたところ、またもその夜、その町内に大火事がでてしまいました。花車はそのいわれを知らない、水戸馬口労町(今の末広町)にゆずられていきました。馬口労町では大変よろこんで、さっそくこの花車を八幡さまのお祭にこの花車を引き出したところ、ここでもその夜、大火が出てしまいました。馬口労町の人々はあとでこの因縁を知っておどろきました。

「イザナギ・イザナミの神さまを花車に乗せて引きまわしたりするからこんなことになるのだ」「八幡さまにおまつりするのがよかろう」とみんなで相談の上、この花車を八幡さまに奉納しました。この二神をおまつりしたのがこのお社(八幡宮境内社 二神宮)で、その後は一度も引き出されたことがありません。

のちに町内に火が出たとき、若者は消化にあたり、このいわれを知っていた年寄りが祈願にかけつけ、大事にいたらずにすんだという話が伝えられています。

太平洋戦争で空襲をうけたとき、水戸の町は一夜にしてほとんど焼けてしまいましたが、八幡宮は難をのがれて無事でした。

はじめは「火を好む神」といわれましたが今は「火伏せの神」として信仰されるようになったということです。