水戸八幡宮について

ご由緒・要略

ご由緒・要略

ご由緒・要略

ご由緒・要略

当宮は文禄元年(1592)佐竹義宣公によって創建されました。
義宣公は天正十八年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌十九年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長三年(1598)に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、水府総鎮守の社と定めました。

―慶長七年(1602)…佐竹氏が秋田へ移封され水戸は徳川家の所領となる。―

徳川時代の元禄七年(1694)には二代藩主光圀公の寺社政策の命により、那珂西村(現城里町那珂西)へ御本殿始め移遷されましたが、宝永六年(1709)三代藩主綱條公の時代になり、正神主田所修理清澄をはじめ氏子等の請願により那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。
なお、水戸に再遷座される際、白鶴一羽が舞い降りて神域を卜定したと伝わります。

以来、水戸藩主代々の崇敬社で農・工・商の神、また厄除・子育て・戌亥年生まれの守護神として信仰されています。

御祭神

誉田別尊(ほんだわけのみこと)
息長足日売尊(おきながたらしひめのみこと)
姫大神(ひめのおおかみ)

御鎮座地

常陸國水戸白旗山(茨城県水戸市八幡町)水戸駅の北西2キロ、
かつては水戸城最外堀がすぐ背後にあり、遠く日光、久慈の連山、
那珂川の清流を眼下に望む老杉鬱蒼とした高台に位置し、
茨城百景、茨城観光百選、市民が選ぶ水戸百景に上位で選定されています。

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